カウンセリングは効果がないと思われがちなのは何故なのか

カウンセリング

カウンセリングについて調べてみると、効果を実感する方がいる一方で効果がないと感じる、又はカウンセリングを受けた結果カウンセリングに批判的になるような方もいます。カウンセリングを受けた結果を効果と呼ぶのが適切なのかどうか今いち判断がつきませんので、ここでは仮にですがサービスに対する満足度と定義します。カウンセリングをひとつのサービスとして見立てた場合、受けてみてその内容に満足できたかどうかということですね。

と思ったのですがクライアントの満足度のみをカウンセリングの評価とした場合、間違いなく色々と酷いことになるということが5秒で分かりましたので、やはりサービスに対する満足度という言葉は取り消します。気に入りませんが、カウンセリングを受けることによる結果に対しては効果という言葉を使うのが妥当なのかもしれません。なぜ効果という言葉を使うのが嫌なのかというと、そもそもカウンセリングは対話であってふわっとしたものなので、効果という言葉で評価を定めるようなことをしてしまうとカウンセラーがカウンセリングを行う目的を誤ってしまうのではないか、と思うからですが。

先に結論を述べておくと、カウンセリングには効果があるケースとないケースがあります。100%誰にとっても良い効果をもたらすとは限りません。受けることそのものにリスクがありますが、だからこそあなたの人生を良いものに変化させるかもしれません。

カウンセリングとはそもそも何か

まず日本ではカウンセリングという言葉が広まりだしてからまだ日が浅いので、カウンセリングそのものが理解されていない面があります。カウンセリングとは何かと聞いて八百屋で野菜を売る人を思い浮かべる人はきっといないとは思いますし、対面して何か話をするものだということは何となくイメージができると思いますが、しかし具体的にカウンセリングとは何なのか、というのを具体的に答えられる人は少ないのではないでしょうか。ちなみにここではカウンセリングとは心理カウンセリングに限定して述べています。

カウンセリングは単純に説明すると、悩みを訴える人の相談に応じ、助言や指導をすることを指します。

ただカウンセリングの場では基本的にはカウンセラーが積極的に解決策を提示することはありません。コンサルタントや化粧品売り場にいる美容カウンセラーなどであれば何をどうした方がいいと解決策を提示するでしょうけれど、心理カウンセラーは原則としてそのようなことはしません。あくまで原則としてなので、カウンセラーによってはそれが必要であると感じたならば直接的にどうした方がいい、こうした方がいいという助言も行うでしょうけれど、そういうのはあくまで原理主義的に考えればという話ですが、本来のカウンセリングからすれば邪道です。

あるサイトを見るとカウンセリングと心理療法は日本ではほぼ同じ意味であると書かれていたのですが、counselingという言葉そのものは単に相談や助言を指すものであり、だから決して心理療法と同じ意味はなくもっと幅広い意味で使われていたと思うのですが、そう書かれていました。まあ何かとシンプルにしないといけない世の中なので、このようにいちいち定義がどうだとか考えていると疲れてしまいます。カウンセリングと心理療法はほぼ同じ意味であるとしておきましょう。

理由は明白でカウンセリングはクライアントの意志を尊重することを前提としているからです。あくまでも提示しているのはヒントであり、原則としてクライアントがカウンセリングの中で自ら考え、自発的に新たな行動を起こすことを目的としています。

ただこのような前提はほとんど理解されていません。一般的なイメージとしてカウンセリングといえば悩みを話し、それに対する解決策を提示してくれるものと思われているんじゃないでしょうか。現にネットでカウンセリングを受けた人の声に目を通しますと、自分の悩みに対してカウンセラーはこのような解決策を提示してくれた、自分はそのようなことを思いはしなかったのでとても新鮮だった、カウンセラーから提示されたことをやってみようと思ったというような流れのレビューがほとんどです。

ただこのような流れで行われるカウンセリングは原則として心理カウンセラーのカウンセリングではありません。クライアントが自分の意志で掴み取った答えとは程遠いからというのが理由です。

だから本来の意味でのカウンセリングを受けるなら自分のことを知り、自分で答えを導き出したいという意志が前提として不可欠なのですが、あまりにもそのことが理解されていません。行政・医療や福祉の現場などほとんどの場所で理解が薄いという実感があります。

カウンセリングはクライアントが自発的に問題に対する答えを自ら導き出す場所であるのに、大半の人はカウンセラーに答えを求めています。そもそものカウンセリングに対するイメージが心理カウンセラーが提示しているサービスの内容から離れているので、効果がない=期待していたものと違うと考える人が多くても何ら不思議ではありません。

カウンセリングを受けるなら自分が問題を解決するんだという意志が必要

カウンセリングの場はカウンセラーが積極的に答えをくれる場所ではないので、カウンセリングを受けるなら自分が何かを変えたい、もしくは目の前の問題を解決したいという意志が必要不可欠です。答えを目の前の人に提示して欲しいなら、占いの方が向いています。あれは超越的な何かから答えをもらうというタイプのサービスであるからです。

カウンセリングはタイプとして似ているものをあげるなら瞑想が向いているように思います。自分に向き合い、自分で気づきを得るという過程が瞑想とカウンセリングはとても良く似ています。とはいってもカウンセリングと同様に瞑想にも様々なタイプのものがあるから、一概にはいえず、そこで行われていることをじっと観察し理解することが大切ですが。

瞑想は1人で行うものだしコツを掴むのが難しいので、例えば1人でネットの記事を読んで黙々と励んでいたりすると誤解したまま瞑想を行っているというケースが目立ちます。ただ目を瞑り呼吸を繰り返すだけというならば簡単ですが、きちんと専門書でいわれているような効果を得たいならばコツをつかむ必要があり、それが非常に難易度が高いため、1人でやるとまず正しくない方向に逸れていってしまいます。私は特に瞑想に詳しいわけではありませんが、瞑想に関しての様々な意見を拝見しているとどう考えても専門的に指導している人の元で行った方が良さそうと思います。

それに対しカウンセリングを受ければ瞑想で得られるような気付きをカウンセラーとクライアントという両者の関係の中で行うことができます。だから1人でやるよりは楽です。もちろん仏教とは目的とするゴールが異なるので、瞑想でいわれているようなゴールへカウンセリングは導くものではありません。カウンセリングの目的はあくまであなたが実生活の中で生活の質を高めることだからです。

別に私は心理カウンセラーではない

私は厳密には心理カウンセラーではありません。あくまでもフリーのカウンセラーなので特に流派にこだわりはありません。カウンセリングを受けられた方がカウンセリングをきっかけにして良い生活を送ってもらえればと思ってやっています。ですからその目的のために何をすべきかが大切だと考えていますので、特にこだわりなく効果のありそうなことを提示していくスタイルです。

あくまで個人的に思うことですが、心理カウンセリングが元々の意味合いで普及せず、占いやコンサルティングのようにその場で答えを提示するスタイルのものがほとんどとなったのは、日本ではほとんど内面を見つめ自ら答えを出していくようなスタイルが求められていなかったからではないかと考えています。確かに日本では古来より仏教が浸透していましたが、そこで修行に励み自己を見つめ続けた人というのはよくよく考えるとほぼ出家という道を辿っていたわけで、自己を見つめるための修行をするような人がことごとく出家してしまえばそりゃ下界では自分を見つめるようなタイプの何かが求められるはずはありません。

八百屋に魚を頼んでもそれは無理な注文という話でありますが、カウンセリングの在り方を柔軟にしていくことは八百屋ほどは難しくないでしょうから、求められるものをこなしていきたいと思っています。

ただこのカウンセラーとしての在り方が原義から外れてしまうと、占いやコンサルタントといった他サービスとの区別がはかれなくなってしまいますので、やはり原義としてのカウンセリングが理解され普及するべきとは思うんですけども。

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