自分をHSPだと思うことは甘えなのか?甘えとはそもそも何か?

コラム

SNSなどを覗いていると、自分をHSPだと思うことそのものが甘えなのではないか?というお悩みを抱えている方が一定数いるようです。
HSPだと自分のことを思っていることそのものが悪いというわけではないのですが、インターネット上では極端な自己責任論が多く、記事や口コミを目にすることで、自分をHSPというカテゴリーに当てはめることである種の安心感を得ているなんて何て甘えた人間なんだろう、と過度に自分を責めてしまう人もいます。

ただ自分の特徴を把握し、自分がどのような人間なのかということを自覚した上で、長所と短所を理解し、短所を消し、長所を伸ばしていこうとするのであれば、それは決して悪いことではありません。
だからあなたの傾向がHSP的だと思って、自分はHSPだ、と思うことは甘えなんかではないんですよ。

そもそも甘えとはどういったことを指すのでしょうか。やたらと〜は甘え、ということがいわれますが、じゃあ甘えている状態というのはどういうものなのでしょう。今回は甘えとは何かについて考えてみたいと思います。

甘えとは何なのか?

コトバンクによると、甘えとは人の好意を当てにする気持ち、となります。シンプルですね。

だから要するに、誰かがHSPを自称することで甘えていると指摘する人は、自分の弱みを見せることで他者からの好意を期待しているように映るのでしょう。

HSPというのはまあそもそも言葉の意味がHSPと言われてすぐにパッと理解できる人さえ今のところそんなにいないとは思うのですが、理解できたとしたら、それはそれで、太宰治的な、何ともろくでもない人という印象を持つのかもしれません。太宰は隙あらばスタコラさっちゃんと川に飛び込もうとするようなろくでもないヤツなので、むしろ甘えと切り捨てる方が他の人に対して被害がないとさえ思うのかもしれません。

それは半分正しくて半分間違っているというか、太宰の時代と現代ではすっかりと人の有様が変わってしまっているので、まったく当てになりません。というか現代では太宰という言葉が意味するところがどれ程に直感で理解されるのか甚だ疑問なのですが、まあひらたくいえばメンヘラという感じなのですが、メンヘラというのも人によって捉え方が違うし、どうにも難しいのです。甘え的なものを前提とするならば、むしろメンヘラというよりも太宰的な何かと称した方が理解しやすい気がします。それくらい太宰はろくでもないヤツだからです。シンプルにろくでもないので逆に分かりやすく理解できるのです。興味のある方は青空文庫で読んでください。

大体HSPといったところでハイリーセンシティブパーソンという言葉通りの意味の人なんて天然記念物レベルでいなくて、ほとんどの人は若干ナイーブ、くらいのものでしょう。で、ナイーブな自身の性質をHSPという属性でまとめることの何が悪いのかっていう話ですよ。

ネオリベ思想に強く影響されているような人に自己責任論を振りかざす傾向がよく見られますが、ではネオリベで自身をカテゴライズすることと、HSPで自身をカテゴライズすること、一体どこに違いがあるのかという話なのですよね。

HSPで自身を定義することが甘えだというのであれば、自分を一切のカテゴリーから切り離すしかないのではないでしょうか。しかしそれはもうほとんど仏教でいうところの一切は空とかそういう話になりますので、実際のところ無理な話であります。人間は言葉でどうとり繕ったところで何らかの属性に期待を寄せてしまうものですからね。

自分を何らかのカテゴリーに収束させることのメリット

HSPに限らず、自分がこの属性に近いと思うカテゴリーに自分を当てはめることはそう悪いことではなく、むしろメリットのある行為です。先にも述べましたが、自身の長所と短所が分かりやすくなるからです。

長所と短所を理解していながらそれをまるで省みないというのであれば全く意味はありませんが、長所と短所を理解した上で何らかの行動を起こしたり、コミュニケーションに工夫を重ねるのであれば、それは自分の成長に繋がります。

だから自分のことをHSPだと思う人は、HSPの長所と短所を理解した上で、自分の長所を伸ばし、短所を克服するような努力をしましょう。そうすれば甘えなんてのには当てはまりませんし、誰に文句を言われる筋合いもありません。

あからさまに誰かに迷惑をかけ、それを悪いとも思わないのであればそれは甘えであり反省するべきですが、自分のことを知るためにHSPであると称することは何ら悪いことではなく、むしろ人生を良くするものだと思います。なぜ良くするのかは少し前をもう一度読んでください。

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